– 真狩スケッチ 01 –
フクオカ?

降りしきる雪に、まだぼうっと見とれてしまうような、冬の間だけの真狩村の居候が、登ったり、滑ったりしながら感じたことや思ったことを綴るスケッチ的エッセイ。
写真・文:豊嶋秀樹

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「本船は、気仙沼沖を定刻どおり北へ進んでいます」と、船内アナウンスがあった。僕は昨夜、茨城県の大洗港から「さんふらわあ さっぽろ」号に乗り込み、凪に近い静かな海を北海道へ向かっていた。もう少し正確な表現に訂正すると、僕は羊蹄山の麓の村である真狩村へと向かっていたのだった。

 僕は数年前から九州の福岡に住んでいた。福岡は、人口は札幌と同じくらいで、サイズも大都市としては非常にコンパクトかつ必要なものは全て揃っていて、日本の都市の中でもかなり暮らしやすい方だと思う。福岡の支店へ移動となった会社員の中には、中央に戻ってからも再び福岡への移動希望を出す人も多いという。街からすぐのところに海や山もあって、アウトドアでの活動も身近に楽しむことができた。しかし、そんな完璧とも聞こえる福岡にも、僕にとっては大きな問題点があった。それは、高い山を歩いたり、パウダースノーを滑ったりするには、わざわざずっと遠いところまで出かけていかなくてはならないということだった。

 福岡に移住する前まで、僕は、妻と二人で東京や神奈川に住んでいた。僕の仕事は、美術館で展覧会の企画をしたり、空間のデザインを考えたり、時には作品を制作したりすることだった。ひとたび、仕事となると、美術館のある街にしばらく滞在して、現場でいろいろと制作することになったので、お祭り屋さんとでもいうような、移動の多い生活だった。しばらくそんな半ば放浪的な生活を続けていると、結局どこにいても同じだと思って、もう関東を離れてどこに住んでもいいなと思い始めた時期があった。「山を身近に感じる長野や山梨もいいな」とか、「スキーを思う存分できる北海道に住むのもいいな」などと、夢見るような思いと、具体的なプランの間くらいの感覚で移り住んでみたい場所に思いを巡らせて楽しんでいた。

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 そうこうして、そろそろ具体的にどこに住もうか決めようという頃、ある知人に、「あなたが住みたいところに住むのではなくて、奥さんが住みたいところに住んで、あなたはそこからあちこち行くほうがいいと思うわ」とのアドバイスを受けたのだった。なるほど、そう言われてみると、確かにそうだと思えた。結局のところ僕は、どこに住んだとしても実際にはそこにはあまりいないからだった。妻にも「どこか住みたいところがある?」と、きちんと正面から聞いたことがないような気もした。話しているようで、それは僕が住みたいと思うような街の名前を並べているに過ぎなかった。家に帰って、軽い気持ちで妻にその質問を投げてみると、少し考えた後、「フクオカ」という返事が帰ってきた。「フクオカ?」僕は、妻が一瞬外国の街の名前を言っているのかと思った。予想外の答えだった。しかし、「フクオカ」を想定していなかったのは、迂闊なことだった。なぜなら、妻は福岡県の出身だったから、彼女にしてみれば、それは当然とも言える選択肢だったからだ。「フクオカ」が「福岡」を指していることが理解できた頃には、僕は軽いパニックに陥っていた。「妻の住みたいところに住んで、僕はそこからあちこちに行く」という前提で投げかけた質問の答えのリストに「福岡」は入っていなかったのだ。僕の知る限り、福岡には高い山もなければ、パウダースノーの斜面もなかった。「フクオカ」は、どこまでも続くかのような北アルプスの稜線や、羊蹄山の神々しい白い雪の世界との別れを意味する言葉として、僕の頚椎から仙骨までを重く響いて貫いた。狼狽した僕は、往生際悪く、信州や北海道の可能性について尋ねた。そして、それは「寒いところは嫌なんっちゃ」という宣告をもって、僕たちの移住先は福岡に決定されたのだった。

 捨てる神あれば拾う神あり。雪国から遠く隔てた島へ流された僕にも救いの手が差し伸べられた。北海道の真狩村に住む友人夫婦から、「九州から何度も雪国へ通うくらいなら、1ヶ月くらいまとめてこっちにくれば? うちにいていいよ」という提案を受けたのだった。そんな神の言葉のような響きに素直に導かれ、真狩村の友人夫婦の家の居候として、羊蹄山に登っては滑る毎日が数年前から始まったのだった。

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 僕はジムニーの屋根に取り付けた大きな箱に、スキーの道具や生活用具を満載にして海を渡った。それは、はるか昔のヨーロッパ人たちがスパイスを求めてインドへ向かったように、憧れと期待でいっぱいの旅だった。フェリーの窓からは、青みがかった鉛色の静かな海がどこまでも広がっていた。南岸低気圧の影響でひどい船旅を覚悟していたのだが、ときおり小さく白い波頭が立つ程度だった。海は、ずっと遠くの方で白く煙って、曇り空との境目が曖昧な水平線となった。雪が降っていた。海に降る雪は、街や山に降る雪とは違って見えた。降りしきる雪は積もることなく、水面に触れた途端にすっと吸い込まれるように、次々と音もなく存在を消していった。風に雪が舞う中を、カモメたちが横切っていった。僕はフェリーの中の大浴場の湯船にひとりで浸かって、大きな窓からぼうっと外を眺めていた。船の揺れに合わせて、浴槽のお湯と僕の体はゆったりと静かに左右に揺れた。苫小牧の港に着くまでにはまだ数時間あった。真狩村にも雪は降っているのだろうか。時間が経つにつれて、陰鬱な重みを持っていた空は、青空が垣間見れる程度に明るくなってきた。僕はのぼせない程度に、いつまでも続くかのような時間性のない景色を眺めながら、北への移動に身を委ねた。

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とよしまひでき
1971年大阪生まれ、福岡在住のベジタリアン。
妻と一緒にお弁当を持って玉川上水に行こうとでかけたものの、高尾行きの電車に乗って高尾山に登ってお弁当を食べたことをきっかけに、山やスキーに親しむ生活が始まる。
ウルトラライトハイキングと呼ばれる軽量装備でのハイクや、テレマークスキー、フリークライミングなどを絡めた、放浪型のライフスタイルを楽しんでいる。
6年前にテレマークスキーを始めたときからニセコ通いが始まり、その後、冬の間は真狩村の居候として過ごさせてもらっている。
大阪で『graf』という集団を仲間と立ち上げて活動したのち、現在は『gm projects』という組合の一員として、アートの分野を中心に企画やデザイン、制作などジャンル越境的に幅広く活動している。
今年は札幌のモエレ沼公園のギャラリーで7月開催予定の「HOLY MOUNTAINS」という展覧会のキュレーターを務める。