– 真狩スケッチ 04 –
青い鳥はいつも突然に(後編)

降りしきる雪にまだぼうっと見とれてしまうような、冬の間だけの真狩村の居候が、登ったり滑ったりしながら感じたことや思ったことを綴るスケッチ的エッセイ。
写真・文:豊嶋秀樹

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 標高1450メートル地点を超えると、斜度が増してきた。羊蹄山は蝦夷富士と呼ばれるくらいで、富士山のような形をしていて、山頂に向かって次第に斜度が増していくような山の形をしている。スキーのシールの効き具合を確かめながら、ジグザグと先行者の山頂へと続くトレースに従って高度を上げていった。振り返ると、真狩村がずいぶん下に見えた。そのうちに真上から見ることになるんじゃないかと思えるくらいに、村を見下ろす視線の角度がぐんぐん変わっていくのを感じた。
 村の真ん中のまっすぐの道を中心に、左右に家々が散らばっていた。そこから不揃いの格子状に道路や林、雪に埋まって真っ白に塗りつぶされた畑なんかが、なにかの法則に従って織られたモノトーンの絨毯のように見えた。1895年に最初の入植者がこの地にやって来てから、100年余りの時間をかけてできた模様だった。街並みを順に目で追っていくと、僕が居候している建物も確認できた。逆に家から倍率の高い望遠鏡で覗くと、きっと僕の姿も見えるんだろう。

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 山頂に近づき斜度が増すにつれて、スキーで登っていくのが少し重労働になってきた。板を脱いでしまって、ザックに取り付けてツボ足で登り始める人もいた。それまでは素直に従っていたジグザグのトレースも自分の折り返したいタイミングとずれてきたので、自分にとってキリのいいところで折り返すようになっていった。僕の板は、少し長めのファットスキーだったので、方向を変える時には、大袈裟な感じでキックターンをしなければうまくいかない。足を後ろに大きく持ち上げて、ぶら下がったスキー板をかかとで蹴りつけた反動で戻ってきる板にタイミングを合わせて次の一歩を踏み出すのだが、その時にうまくバランスを保っていないと大きく斜面の下側に転んでしまうのだった。

 山頂まで、あと50メートルいうあたりになってくると、雪が風で吹き飛ばされて、岩肌が露出しているところが多くなり、これ以上はスキーを履いて上がることもできないし、降りてくることもできないという感じなってきた。岩陰でスキーを脱いで、ザックも降ろした。時計を見ると午後2時をまわったところだった。お鉢と呼ばれる噴火口を滑るには、板を担いで登って、日照による雪質の関係から、火口をぐるっと半周近く回り込んでいく必要があった。そこまで行って、火口を滑って、登り返して今いる場所に戻るとすれば、さらに1時間半くらいはかかるだろう。これだけ日光に照らされて溶けかかった雪は、午後の気温の低下で一気に固くなり、恐らく火口から戻ってきた頃には、テレマークスキーで滑るには少し手強いコンディションになっているだろう。残念だけど、今回は手ぶらで山頂へあがって、景色を楽しんで帰ることにしよう。

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 山頂からは、ニセコアンヌプリやその奥に日本海まで続く山々がすべて見渡せた。ニセコオートルートと呼ばれるスキーツアーの対象となる山並みだった。羊蹄山のほうがずっと標高が高いので、自分より背の低い下級生を頭の上から見下ろすようで少し偉そうな感じがした。実は、春に友人と日本海から真狩村までそのニセコオートルートをスキーで縦走してみようという計画があった。その計画はここ数年の僕の密かな夢になっていた。人はなんというか知らないけれど、僕は自分のことをかなり用心深い方だと思っていて、この縦走計画についても例外ではなかった。昨シーズンは、それぞれの山をひとつひとつ登っては滑った。羊蹄山とアンヌプリから初めて、イワオヌプリ、チセヌプリ、目国内岳を滑ることができた。目国内岳に限っては、縦走を計画している同じ4月に想定される装備を持ってあがり、試しに山中で一泊した。夏には、雷電山からアンヌプリまでを繋いで歩いた。それぞれの山の感じは冬に滑ってわかったが、山の繋がりのイメージや距離感を掴んでおきたかったからだった。そこまでしなくても、と言われそうな気もしたが、こうやっていろいろと準備したり計画したりするうちも楽しみ一つだと思う。そんなことを思い出しながら、ニセコオートルートの山々の稜線を目で辿った。

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 噴火口を見下ろすと、すでにたくさんの人が滑ったり、火口の底にいたり、登り返したりしていた。天気の良い無風の山頂で、楽しそうに滑っている人たちを眺めていると、ここがどこかのスキー場で、リフトがかかっていてもおかしくないような風景に見えてきた。空の色は、地上で見るよりもずっと濃いブルーだった。空気が薄くなって濃い色に見えるのだろうか。いつまでも眺めていたいような景色だったけど、滑りが楽しめる雪のコンディションのうちに山を降りておきたかったので、最後に一度だけ大きく深呼吸してからスキーを置いてきた場所まで戻った。
 滑る準備をして、今から滑る斜面と左右をぐるっと見回した。さて、ここから標高差約1500メートルを滑り降りるのだ。もう一度大きく深呼吸してから、僕は、真狩村の方へと向かってゆっくり滑り出した。

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 車を停めてあるところまで滑ってきて振り返ると、羊蹄山がハッとするほど間近に大きく見えた。少し傾いた日が柔らかく山肌を照らしていた。目をこらすと今滑ってきたばかりのラインが見えるような気がして、しばらくじっと見つめてみた。さっきまであのてっぺんにいたと思うと不思議な気分になった。ぼうっと眺めていると、ろくに行動食を持って行ってなかったのでペコペコのお腹がグゥと鳴った。こうして、青い鳥はいつも突然にやってくるのだった。
<つづく> 

とよしまひでき
1971年大阪生まれ、福岡在住のベジタリアン。
妻と一緒にお弁当を持って玉川上水に行こうとでかけたものの、高尾行きの電車に乗って高尾山に登ってお弁当を食べたことをきっかけに、山やスキーに親しむ生活が始まる。
ウルトラライトハイキングと呼ばれる軽量装備でのハイクや、テレマークスキー、フリークライミングなどを絡めた、放浪型のライフスタイルを楽しんでいる。
6年前にテレマークスキーを始めたときからニセコ通いが始まり、その後、冬の間は真狩村の居候として過ごさせてもらっている。
大阪で『graf』という集団を仲間と立ち上げて活動したのち、現在は『gm projects』という組合の一員として、アートの分野を中心に企画やデザイン、制作などジャンル越境的に幅広く活動している。
今年は札幌のモエレ沼公園のギャラリーで7月開催予定の「HOLY MOUNTAINS」という展覧会のキュレーターを務める。