– 真狩スケッチ 06 –
八千キロとハワイアンミュージック

羊蹄山で滑った後は、今日も一人黙々とヒラフのナイターで練習を楽しむ。降りしきる雪にまだぼうっと見とれてしまうような、冬の間だけの真狩村の居候が綴るスケッチ的エッセイ連載第6回。

写真・文:豊嶋秀樹

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 九州に戻るとすでに初夏と言っても差し支えなさそうだった。連休明けの5月半ば、僕はようやく福岡に戻り、こうして冬の出来事を思い出している。真狩で過ごした日々のことは、すでに濃いガスに覆われたように白くぼやけていた。今日の福岡の気温は28度で、コンピューターからはハワイアン・ミュージックが流れていて、僕は短パンにTシャツという格好で、この文章を書いている。パソコンのモニターに映る雪に埋もれた日々の写真はどこか異国の風景のように見えた。

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 僕は、3月の頭に一度福岡へ戻った。しかし、4月にはすぐに真狩へ戻ってきて、仲間とニセコオートルートという通称を持つ、ニセコ連峰のスキー縦走を予定していた。それならば、車で北海道から九州まで行って、また1か月後に北海道にふたたび車で戻ってくるというのは、費用的にも労力的にも得策ではないように思えた。そういうわけで、僕は、車も荷物もすべて真狩に置いたままにさせてもらって、身ひとつで、飛行機で九州の自宅へ一時帰宅することになった。車でやってきたことと比べると、飛行機での移動は、その移動自体がなかったことに思えるほどだった。飛行機は、二千キロを2時間半ほどで移動した。

真狩スケッチ写真27

 真狩村での雪まみれで暮らしているときと、都市で満員の地下鉄を乗り換えて歩き回っているときの身体感覚の違いはあまりにも大きくて、それらを同じ体で引き受けさせることは、ずいぶん傲慢な要求をしているような気持ちになった。雪があるのとないのとでは、歩くという行為でさえも、足の裏の感覚を始め、五感のすべてにおける知覚のされ方が違っていた。意識よりもいち早く体の方が、僕がもう真狩村にいるのではないということを敏感に感じ取っているようだった。意識のほうは随分遅れて、ここに向かっているようで、ふと気が付くと、僕は羊蹄山の風雪の中を登っていることが度々あった。雪混じりの強い西風が吹き付ける中をハァハァと少し息を荒くして登っていた。僕は左の頬が凍傷にならないように気を使いながらときどき厚い手袋した左手で頬を覆っていた。

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 僕は普段は日記をつける習慣はなかったけど、毎年真狩に滞在している時はマメに日記をつけていた。日記は、数行で終わっている日もあれば、ずいぶん長く書き連ねてある日もあった。大抵は、その日の雪のことや、滑りのこと、それから何を食べたというような生活のことがほとんどだった。日記のほかにもたくさんメモを取っていた。山に入るスキーの道具に関する改善点やゲレンデでのテレマークスキーのレッスンで教えてもらったこと、ニセコオートルートの縦走のためのアイデアなどだった。そこまでやって、なにかを目指しているというわけではないけれど、そうやってスキーや山のことで頭をいっぱいにしていること自体が楽しかった。そう、これは合宿なのだった。

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 僕は、ある一定期間、なにかに集中して取り組むことが好きだった。それが、北アルプスを3週間ずっと歩くことだったり、ミールスと呼ばれる南インド料理をつくることだったり対象はさまざまだった。他人から見ると脈絡のないように思われることも、僕の中ではなんらかの繋がりがあるようだった。それがどういうことなのかはずっと後になってからでないとわからないことが多いが、とりあえず、目の前にやってきた夢中になるべきなにかに反応しているのだった。それが、こうして僕を真狩村へ導き、いろんな人に引き合わせてくれ、羊蹄山への巡礼を促したのだった。

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 4月になって、僕は真狩へ戻ってきて、予定していたオートルートの縦走の機会をうかがっていた。しかし、今年の春は、少ない雪に加えて、天候がとても不安定だった。結局、うまく晴れが続きそうな天気にはならず、予定していたルートの半分を往復することになった。これについては、そのまま計画を来年にスライドさせることになった。そして、10日間のニセコでの滞在の後、僕は仕事があったのと、北海道の他の山を滑ってみたいという気持ちがあったので、北海道を一周して仕事したり、滑ったりした後に苫小牧からのフェリーに乗った。いよいよ引き上げる時だった。

 九州へ戻ったのは5月半ばのことだった。真狩を出てから1か月近く経っていた。自宅の駐車場に着いた時、僕の車の走行距離計は出発時から計算すると八千キロほど走ったことを示していた。福岡から真狩までは二千キロほどだ。途中、フェリーで半分くらいは稼いでいるので、実際に走るのは往復で二千キロほどの計算になる。残りの六千キロは、羊蹄山麓での生活とその後の放浪との積算ということになる。そんな旅とも生活ともつかない雪をめぐる時間が、八千キロという数値で表されていた。時間を距離の単位で測るのは間違っているのだろうけど、「真狩」での時間を思うとき八千キロというのはちょうどいい具合だと思えた。そうやって、ゆっくりと僕の中でハワイアン・ミュージックと真狩の雪景色が心地よく溶け合っていった。不思議と似合っている気がした。

<了>

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とよしまひでき
1971年大阪生まれ、福岡在住のベジタリアン。
妻と一緒にお弁当を持って玉川上水に行こうとでかけたものの、高尾行きの電車に乗って高尾山に登ってお弁当を食べたことをきっかけに、山やスキーに親しむ生活が始まる。
ウルトラライトハイキングと呼ばれる軽量装備でのハイクや、テレマークスキー、フリークライミングなどを絡めた、放浪型のライフスタイルを楽しんでいる。
6年前にテレマークスキーを始めたときからニセコ通いが始まり、その後、冬の間は真狩村の居候として過ごさせてもらっている。
大阪で『graf』という集団を仲間と立ち上げて活動したのち、現在は『gm projects』という組合の一員として、アートの分野を中心に企画やデザイン、制作などジャンル越境的に幅広く活動している。
今年は札幌のモエレ沼公園のギャラリーで7月開催予定の「HOLY MOUNTAINS」という展覧会のキュレーターを務める。