ラストスキー

文:伊藤雅之/KODAMA

 もう10年も前のことになる。
 当時、僕はニュージーランドのスキークラブの一員だった。そのクラブは古い趣のあるスキーロッジを持っていて、年配の馴染みのメンバーがいつも楽しそうに過ごしていた。そのロッジに世話好きのベブという女性がいた。もう“おばあさん”と言ってもいい年齢の彼女はクラブの役員もやっていて、その昔にはクラブの代表者になっていた時期もあったようだ。
 ニュージーランドにも古き良きスキーブームの時代があった。いや、スキーだけではなく、おそらくすべてのスポーツが、人が集まって交流を深めるという部分に、より重点が置かれていたのだろう。
 ある日、僕はロッジでくつろいでいるベブに何気なく聞いた。
「今日はスキーしないの?」
「私はもうスキーは卒業したのよ……」
 彼女は窓の外を見たまま答えた。最初は意味がよくわからなかった……が、彼女はもう金輪際スキーはしないということのようだった。僕は不躾な質問をしてしまったことを申し訳なく思い、そして気づいた。
 自分もスキーをやめる日が、いつか来るのだと。
 ラストスキー……という言葉が頭をよぎった。それは、自分の体力の限界を感じる時なのだろうか? 病が見つかって、ある日突然訪れるのだろうか? あるいは、怪我や恐れか?
 小さいころから、どちらかというと屋内で遊ぶことを好み、スポーツは苦手。スポーツ少年団も友達といっしょに居たいから入っていただけ。そんな自分だが、なぜかスキーだけは細く長く続けていた。独りでスキーに行くこともしばしばだった。おそらく自分に合っていたのだろう。冬の間ずっとニセコに滞在するスキーヤーたちの気持ちもわかる。スキーは、いわゆるスポーツとはちょっと違うのかもしれない。自然や仲間と親しむリラクゼーションといったほうがしっくりくる。
 去年の夏、外国から訃報が届いた。僕の大好きなテレマーカーが亡くなったという。後で知ったことだが、仕事の最中の心臓発作だったそうだ。彼はまだ30代だった。パッションをそのまま滑りで表現するような、弾けるようなターンが素敵だった。《いつかあんな風に滑りたい》と、僕は心から思った。数年前、いっしょに過ごした時間は数日だったけれど、そこにいたスキーヤー皆が強く繋がっていた。その時、彼は僕に毛糸の帽子をくれた。それが形見になるとは、思いもよらなかった。
 この冬、仲間の一人が彼の遺灰を羊蹄山に撒いた。羊蹄山こそが彼と仲間たちにとっての天国だったのだ。
 誰しもに平等に時は流れ、同じ数だけ歳をとっていく。僕の子供たちは目覚しい勢いで成長している。自分にも同じだけの時が流れている。今年は人生4回目の年男だ。元気に滑れることに感謝し、噛み締めるようにターンを刻む。テレマークはワンターン、ワンターンが自由な表現だ。皆のお陰で、今日も僕は雪の上に立っている。

いとうまさゆき/Max
1971年、北海道江別市生まれ。宿泊業経営。テレマーク歴は20年以上なるもゲレンデからなかなか離れられない日々を送っている。東京・オーストラリア・ニュージーランドで貿易と森林経営に従事していたが、2010年にニセコに移住。英語、スキー、観光、自営、田舎で子育て、をキーワードに新しいライフスタイルに挑戦。ニセコは「オルタナティブなライフスタイル」の見本市であると感じている。日本は、世界でもっともスキーの敷居が低い国で、それが日本のスキーの一番良い点の一つだと考えている。